ヨーロッパ世界遺産巡りの旅 ➀ポルトガル|ジェロニモス修道院

私は英語、国語や小論文はもちろんですが、難関大学向けの日本史・世界史を教え始めて、かれこれ35年以上になります。2024年6月17日(月)~7月10日(水)の期間で、今まで気になっていた教科書に載っている写真の場所を見るために、「ヨーロッパ世界遺産巡り」と銘打って、ポルトガル、スペイン、フランス、スイス、ドイツと出かけました。

最初の投稿は、リスボンから。

ジェロニモス修道院はポルトガルのリスボンにあります。

ジェロニモス修道院はポルトガルのリスボンにあります。私たちは、ドイツのミュンヘンから飛行機を乗り継ぎ、やっとポルトガルに着きました。ウクライナでの戦争があるので、北極圏を通ることができませんでした。ですから1日半ほどかけてやっとポルトガルの首都のリスボンに着いたのです。リスボンの国際飛行場から街の中に入るのには結構時間がかかりました。もちろんタクシーに乗ってホテルまで行きました。

ホテルに荷物を置いて、急いで乗って来たタクシーでジェロニモス修道院まで行きました。ホテルからも結構時間がかかりましたね。タクシー運転手がジェロニモス修道院をどこかの宿泊場所と勘違いしてしまいました。近くにジェロニモス修道院があるのですが、なかなか通じませんね。まあ、ポルトガル語だから仕方ありません。何とか閉まる時間に間に合ったので良かったです。18時半までしか開いていないのです。

ジェロニモス修道院の前の道は大変広くて、広場でしたね。大きな修道院です。走りました。どこが入り口なのか前もって調べていましたが、誰もが言うように本当に良くわからなくて、走り回りました。とにかく大き過ぎるのです。付属の教会には、バスコ・ダ・ガマの棺が置かれています。私は教会の門が閉まってしまって、見せてもらえなかったのです。ポルトガルは時間に厳しいですよ。入口の係の柄の大きな男性に何度も「中を見せて、ちょっとだけ、見せて下さい。」と頼みましたが、ドアを閉められてしまいました。

リスボン近くの上空を飛行機から見ました。

リスボン市街。飛行場から街の中心までの間。いくつかロータリーがあります。

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 リスボンの街は坂が多いということがわかりますね。市街まで上がりそれから海に向かって急坂を下りて行く感じです。

今回は、2024年ヨーロッパ世界遺産巡りの旅 ➀ポルトガル|ジェロニモス修道院 Mosteiro dos Jerónimos の説明をします。

なぜポルトガルも選んだのか?

「なぜポルトガルに行こうと思ったのか?」というと、世界史教科書の「大航海時代」というページに、最初に大西洋に乗り出し、出かけて行った国がポルトガルだと掲載されているからです。

この当時のポルトガルは国としてやっとまとまり始めたところでした。世界史の教科書にはポルトガルが国としてまとまった過程に関しては、記載がありません。

世界史の教科書の中には、このジェロニモス修道院という名前も写真もありません。ポルトガルの世界遺産を探してみたら、このジェロニモス修道院が出て来たのです。

ポルトガルの首都はリスボンです。このリスボンという都市から大西洋という知らない新しい世界へと乗り出して出かけて行ったのです。「勇気があるなあ?」「リスボンってどんな場所なのだろうか?」興味がありました。

リスボンの市街の風景です。

上記の写真は、ジェロニモス修道院です。外から入り口を写しています。

以下の写真はジェロニモス修道院の中を写しています。

海へ向かいながら、後ろを振り返り写真を撮っています。大きい修道院なので、全景写真が撮れませんでした。

ジェロニモス修道院

ジェロニモス修道院は、マヌエル様式の最高傑作とも言われています。大航海時代の香辛料貿易によって富をつぎ込んで建築された歴史的な文化遺産です。ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して建てられました。

マヌエル様式とは、ポルトガル王マヌエル1世(在位1495年~1521年)の治世に流行し、ポルトガルのほぼ全域に広まった建築様式です。

香辛料貿易で莫大な利益を得た王室は、その富を誇示するかのように過剰ともいえる装飾を施した建築物を多く建てました。その中でも王室の富を見せびらかすような建物がこのジェロニモス修道院ということになるのです。

1502年にマヌエル1世によって着工されましたが、途中中断があり、最終的な完成には300年ほどかかっています。

香辛料貿易ってすごいですね!莫大な富をポルトガルにもたらしたということなのです。

香辛料貿易とは?

中世以降、香辛料貿易においてイスラムの貿易商達がインド洋航路を支配していました。彼らはインド洋航路を通して香辛料を輸送しました。アラブの貿易商達が香辛料貿易を支配していました。

1453年に、オスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼしました。そしてオスマン帝国が地中海の制海権を得ることになりました。オスマン帝国が地中海を通る交易路に高い関税をかけたため、アラブ商人主導の貿易は衰退していきます。

1498年にヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端の喜望峰経由で、ヨーロッパ・インド洋航路を拓き新しい通商航路を開拓しました。その結果、ヨーロッパからインドを経て、東洋にたどり着きました。ポルトガルは当時の香辛料貿易を主導し、交易体制を築きました。

つまりポルトガルが香辛料貿易を先導したから莫大な富を築けたわけなのです。

世界史の教科書の中で、資本主義の幕開けはこの大航海時代の香辛料貿易を開拓したポルトガルから始まるのだと考えています。ですからとても大切なところなのです。

それにしてもポルトガルってどうやって国になっていくのでしょうかね?世界史の教科書には書いてありません!

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